お客様の声
アウグスビール 代表取締役 坂本健二
村井さんには、私にはない「強い説得力」がある。
- ビジネスの交渉
- 商品を魅力的に感じてもらう「付加価値の付け方」が卓越して上手。
①②は別の職能で、2 つを高い基準で満たしているビジネスパーソンは少ない。また、村井さんに先導してもらったビジネスを船井総研が真似している事を考えても、業界に影響を与える存在であることは間違いない。
株式会社ARK 代表取締役 佐々 幸雄
継続してお付き合いできる人は少ないが、村井さんはいつも隣にいてくれた。村井さんが「残ってくれた」という印象。やはり、器が大きいところ。細かなことをグチグチ言わない懐の大きさがある。
大きな器が彼の 1 番の魅力です。また、ビジネスの遂行力が極めて高いことは言うまでもありません。B2B 向けの提案書を作ってもらったことがあるが、綺麗で整った提案書に驚いた。「大企業のお作法」を知っており、とても頼りに感じている。
Profile:私の仕事歴
1985年11月11日 京都生まれ
慶應義塾大学卒業後、(株)野村総合研究所(NRI)にて通信・製造など幅広い業種の経営コンサルタントとしてキャリアをスタート。
コンサルとして順調にキャリアを積み重ねていくが、あるクライアントから「あなた達は現場のことを知らないのに、正論ばかりだ」と言われたことが契機となる。
「このままでは机上の空論だけの頭でっかちになってしまうのではないか」という危機感から、リクルート・日本IBMなどの大企業や、ドリコム・グリーなどのベンチャーで法人営業・経営戦略・人事・広報・DX推進など幅広い経験を積む。
勤務した全企業において、6,000万円/年の売上の仕組化、5,000万円の融資獲得、4,000万円/年のコスト削減などの実績を残す。
しかし「本当に良いと感じたものだけお客さまにご提案したい」という思いが強くなり、独立。
同時期に、アウグスビール株式会社のビールに魅了され出資。飲食店・宿泊施設内にクラフトビール工場の設立支援するグループ会社を創設し取締役に就任。この新規事業を2年で年商1億円事業に成長させる。実績が認められ、アウグスビールの取締役に就任、経営に参画。
現在は同社含む複数社の会社経営に携わりつつ、中小企業の社外番頭として、経営者に寄り添った会社の変革支援を執り行う。
幅広い職務経験とコンサル実績、現場で培い続けている経営ノウハウを活かしたサービスに、クライアントから
「ビジネスの遂行力が極めて高い」
「自分にない『強い説得力』がある」
「大きな器が1番の魅力」「いつも隣にいてくれる」
などの声をいただく。
ミッションは、
「ヒトが楽しく適材適所で仕事ができ、お客さまも喜ぶ会社づくり」
History:私の価値観
幼少からバスケットボールを父に習い、小学校入学当初から6年生とバスケを楽しんでいたら2年生にいじめられました。
それに気づいた6年生の先輩が守ってくれて背中をはって守れるヒトに憧れるようになりました。ちなみに、某アニメのように父とは週末1on1を繰り返し、勝つまで帰れないというスポコンな家庭に育ちました。
その後、中学受験勉強に突入。しかし、落ちこぼれ、どうにか点数を取るためにカンニングをするも見つかり塾の退学危機に。
退学は免れたものの進学クラスをひとクラス落としての再スタートを図りました。
その時に初めて学ぶ楽しさを知りました。基礎を知ることで応用が見えるようになる。当たり前の話ですが、そのことにより、結果として中学受験前には塾の全国模試でもトップクラスの成績をとることもできました。
そうして、慶應義塾普通部に入学。バスケット部に入部するものの練習に全くついて行けず挙句の果てに「さぼりの名人」扱いされてしまい、それが悔しくて練習を頑張りました。
「さぼりの名人」扱いが癪なので練習途中に吐きながらも練習に戻るといったことを繰り返していたのが懐かしく思います。
それがコーチにも認められ、2年生ながら補欠には入ることができ、3年目には副キャプテンとなりました。
膝をけがして、高校では新しい部活にチャレンジしました。しかし、早くから選抜に抜擢されると周りから図に乗って見えたのか同期の人間関係に悩み退部。(高飛車の自覚がなかったので人間って怖いですね)
その後、水泳部に入部し、一番初心者からスタート。その後、「できないものができるよう」になっていくその過程が好きなんだなと水泳を通じて特に感じました。
その後、慶應大学では高校水泳部コーチに就任。
強い選手の真似をしてケガした選手を多く見てきたので、気合・根性での量の追い込みではなく、初心者にそった無理ない基本の「型」を重視した練習を心がけました。
その過程ではスイミングスクールのアルバイトにつき先輩社員から、身体の動かない方でも無理なく泳げるコツなども学びました。
叱咤するよりも出来るようになったことをフィードバックして本人が自ら更に成長しようというサイクルにはいっていく。
それが相手に接するうえでの根底的な価値観だなと気づかせてもらった4年間でした。
そうしていくうちに、僕の現役時代よりも早く泳げるメンバーが増えました。結果、楽しくけがなく練習も追い込むことができ、スタミナもついて、初心者・中級者チームからも全国大会出場メンバーを輩出する経験もしました。
その活動を通じて、ヒトや企業の「変化点」や「成長」に出会える仕事に就きたいと思い、野村総合研究所に入社しました。
並行して大学時代には、就職支援の教育プログラムを立ち上げ、1円を稼ぐ難しさを身をもって体感したのと、水泳部の経験と合わせて「机上の空論にならないこと大事にしたい」と思うようになりました。
※プログラムは10年間累計500名の学生の就職支援、またOBOGとなって以降の転職支援に携わりました。
その価値観から、野村総合研究所で上場企業の経営コンサルティング事業に携わった後は「手触りのある事業を自ら推進したい」と思い、リクルートに入社したものの、コンサルタントから営業の違いに戸惑い、売上を追いかけるものの空回りし体調を崩し、出社できない状態に陥りました。
その後、転職して経営企画や人事でMVPをとるも、心が満たされず、転職を繰り返す日々でした。スキルはあって仕事は遂行できるものの、自分のコアや「誰を向いて何のために」仕事をしているのか目的が正直見出せていませんでした。
その後、転機がありました。
企業再生過程のメガネスーパーで事業開発で、新人時代に教わった仕事の「型」を活かして、複数社との企業提携が成功し、予算が潤沢にない中でも新規顧客開拓に貢献し、数千万円の粗利獲得に貢献できました。
友人・先輩が商品を購入してくれて良かったといってくれる言葉や笑顔がうれしくて、この時代の仕事はとても楽しくさせて頂いたと同時に今後もこうした仕事をしていきたいと自分の仕事のスタイルや価値観が絞り込まれていった時期でした。
その後、友人のベンチャーの立ち上げ支援とともに独立する中で、
1.人事制度設計、DX推進、事業開発のコンサルタント
2.中小企業の社外取締役・株主
の二足の草鞋を履いた活動が定着し、いまもそのような活動が続いています。
その中で、自らも出資したクラフトビールの会社では、クラフトビール開業支援プロデュース事業を立ち上げ、全国で15店舗以上の開業支援に成功しました。
代表のこだわりが分かるお客様だけと仕事が出来るご機嫌な経営が実現できるように、集客方法や初期商談の内容を見直しました。
結果、月5万円と販促費をかけすぎず、営業疲れしない事業運営の仕組みを実現できました。
そうした取り組みを、更に様々な経営者の皆様と取り組んでいきたく
社長のワガママこそ利益にする中小企業の社外番頭
として今後は活動を深めるべく、この公式サイトでは主に中小企業の経営者の皆様との繋がりを持つきっかけづくりとして情報発信・ご案内をしております。
なぜ「社外番頭」なのか?
中小企業に足らないのは、社長の想いやわがまま・こだわりを企画に落としこみ実現する推進する力です。
推進には参謀では少し力不足です。幸い日本には番頭という役割・役職がありました。これが、私が思う推進役のイメージにぴったりきました。
しかも、中小企業は何か企画を進めようとすると別の課題が見えてきて、それを同時多発的に解決していかないといけません。
番頭は、そうした様々な状況に対して横断的な知識を持ち優先順位をつけて解決していける推進役の筆頭です。ただ外部から正論だけいう存在ではありません。
課題に対して、経営者・現場・お客様・取引先を円滑につなげ成果につなげる、そうした中小企業の推進役になりたいと思い、「社外番頭」と命名させて頂きました。
なお、自分が関わる人の商品・サービスは、自ら利用者にとして体験したうえで、営業・広報することが大事だと考えており、そうして始めたブラジリアン柔術はいまも自身の趣味となっています。
※大のビール好きのため、試合前の減量にはいつも苦労してます。